1-3.アナログからデジタル

投稿者: | 2022年2月21日

マイル路線はタイキシャトル、中距離路線はエアグルーヴやサンデーサイレンス産駒が大活躍し、サイレンススズカの快進撃があった1997年から1998年。
相変わらずダビスタをやりつつ、週末リアル競馬。その頃からから「競馬最強の法則」も毎回買うようになり、初めて馬券本を買ったのがカマシ田中さんの「KAMASI」。理論的には芝芝芝芝と使っていきなりダートを使い直後に芝に戻すとダートのレースは調教変わりで、芝に戻った時に激走するというような理論。この使われ方を「カマシ」と呼んでいた覚えがある。本にはカマシをする厩舎の使われ方の例もあり、競馬新聞のこの本を見比べて馬券検討していた。

忘れもしない1998/12/13 阪神10Rの高砂特別。ここにカマシパターンで出走してきていた「ジャンボムテキ」。当時は週末の新聞以外にほぼデータがなく、私のインターネットの環境も十分じゃなかったので、新聞に載っている戦績より前の戦績を調べるには、競馬ブックの四季報を使うしか術がなく、ブックの四季報片手に過去の戦績を調べ、ジャンボムテキが過去にもカマシパターンで好走した事がある事を確認して、ジャンボムテキから総流ししてエイシンブライドルとの馬連34,470円を的中。

そのまま調子に乗って、増えた分全額翌週のスプリンターズSでタイキシャトルの単勝1.1倍に突っ込んで撃沈する。

当時は自分でもなんて愚かな事をしたんだろう…と思ったが、よりもっと当てたいという気が強くなり、さらにハマるきっかけだったように思う。

時は流れ、自分用のPCを購入し、インターネット環境も夜11時から朝8時まで定額で使えたISDNの「テレホーダイ」を引いたり、ケーブルテレビ(JCOM)でグリーンチャンネルを引いたり、環境も変わっていった時代。
(ここに競馬仲間はいなかったが)学生時代の友人らが全国にバラバラに散ってしまい、各々がプロバイダドメインでHPを開設し、HTMLで近況を書いたり、IRCチャットで夜な夜な会話したり、夜から朝まで「三国志インターネット」をやっていたのが、1999年や2000年ごろ。
音楽ファイル(mp3)交換で始まったNapsterや違法動画や違法ソフトが手に入るWinMXやWinnyも流行っていた時代。仲間の内の1人にmpegやDVDをDivxなどのエンコーダーで圧縮してCDR1毎分に収めるような事を好きでやっていた彼から、エンコードの方法を聞き、機材をそろえてJCOMのチューナーからMPEG2の機械を介して、グリーンチャンネルのレース動画をPCに直接取り込み、PC上でレース動画を頻繁に見るようになった。
途中でレーシングビュアーのサービスもできたが、今みたいなTARGETから直接レース動画は見るボタンはなかったものの、インターネットリンクで設定すれば見れた覚えがあるが、如何せん回線速度の問題でスムーズに視聴できない事がストレス。画質も荒く、自前で用意した方がキレイだったし自前で用意できるモノにお金を払うのも嫌だったので、しばらくこの環境は続いた。PCも2台用意し、1台はひすらエンコード、もう1台でTARGET frontierという環境だった。

TARGETからローカルにあるレース動画を再生させ、各馬が1コーナー・2コーナー・3コーナー・4コーナー、直線でどれぐらいロスしたかを全部TARGETの結果コメントにメモし、ロスした分を「付加タイム」に入れてロスがなければ、何秒で走っていたはず…みたいな事を延々とやっていた。
勝負服のデータもなかったので、木下さんの「服助」も使って、勝負服確認しつつ、動画を再生し、TARGETにメモをする作業。
グリーンチャンネルの方で全レースパトロール映像だけの番組も始まり、これも撮って動画を2つ同時に再生できるソフト(真空波動研)も併用し、通常映像とパトロール映像を同時に再生して位置取りをチェックしていた。※今のレーシングビュアーのマルチチャンネルみたいな事を自前準備して見ていた。
TARGETについてはこちら。

TARGETで見れるのは過去の戦績と今回の出馬表、過去のレース結果。アナログデータとして、自分でレース映像を見たメモと当時競馬道オンラインの月額に入れば、競馬ブックの調教データが全部見れていたので、競馬道オンラインを併用していた覚えがある。
同時に、アナログデータの参考として、自分で見て感じたものと専門家が解説してくれるグリーンチャンネルの「先週の結果分析」の番組をチェックし始めたのが、2001年・2002年ごろ。今でもTARGETを見ると、↑↑の各馬の位置取りのメモや、ブックの調教印、結果分析のコメントのメモがTARGETに残っている。
時系列は怪しいが、最終レース後に流れていたレースリプレイをMPEG2録画、1時間半後にはエンコード開始、24時間かけてエンコードして、レース単位にカット。週明けの月曜からひたすらリプレイの見直し&各馬の位置取りメモ。当時初回放送が火曜日か水曜日だった先週の結果分析と見比べて、答え合わせ?。木曜にはJRAのHPから想定を確認して、週末を迎えるという生活。これが実ってか、ホリエモンが設立したオンザエッジで運営されていた「最強の法則web」の馬券コンテストで上位に入る事ができ、「ダイレクト予想家」になる事ができた。

これを機に当時持っていたHPにも人が訪れていただけるようになり、「競馬関連の仕事をしたいので何か情報あったら教えてください…」と書いたところ、親切な方から日刊スポーツの競馬欄のアルバイトと競馬関連の出版社の職を教えていただき、両方受けて後者の出版社へ。
出版社入るのなら、最強の法則webのダイレクト予想は辞めるように言われ、ダイレクト予想は辞めて入った。入って1・2ヶ月してからか、日刊スポーツの方から採用の連絡をいただくも、既に決まっていたので断ざるをえなかった。

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